マルメロはカリン?

大阪から信州へ越してきて,何かおもしろい研究材料はないものか,といろいろ見回っていたときに出会った果物が「かりん」であった。マイナーだが,信州の特産果実の一つであるという。

 

「かりん」なら以前に耳にしたことがある。ほう,これが「かりん」か・・・。と興味津々にながめていたら,「・・・実はマルメロなんですけどね」と解説された。

 

??・・・「実はマルメロ」って,何それ?? カリンとちゃうのん・・・? 偽物ってこと??

 

カリンではない果実が「かりん」と呼ばれて定着していたのである。なぜだ?それ以来,自分はますますカリン(およびマルメロ)に興味がそそられた。では,本当のカリンはどういう果実なのか,なぜマルメロが「かりん」と呼ばれて混同されているのか,実際はどの程度異なる果実なのか,成分や効能は同じなのか,・・・・

 

そういうわけで,仕事のようでもあり趣味のようでもある情報集めを始めたわけである。混同されているといっても,よく見ればカリンとマルメロは全然違う形態をしている。果実も葉も木の幹も異なっているのである。もっとも,自分が目にしているマルメロはスミルナ種であり,他の品種はもっと形態が似ているものがあるのかも知れないが・・・。少なくとも,現在のマルメロの主要品種であるスミルナを見る限り,カリンとしての「ごまかし」が利くようには思えない。ナシをリンゴだと言って売っているようなものである。

 

と,表面上はそれほど区別しがたいものとは思えないカリンとマルメロなのだが,これが深みにはまっていくとなかなか整理しきれない面が出てくるのもまた事実である。実際,カリンはかつてマルメロ属に入れられていたし,さらに古くはナシ属に分類されていた。実はややこしいのはカリンとマルメロだけではない。むしろ,カリンはボケとの区別の方が難しいのではないか,とも思えるが,この辺の話は「分類」の項にゆずる。

諏訪地方で「マルメロ」が「かりん」と称されている理由

諏訪市役所 建設部 都市計画課 公園緑地係の方に頂いた資料,および諏訪地方事務所農政課のHP(2002年)の記事には次のように記載されていた。

『諏訪湖周辺に栽培されているものは「マルメロ」であるが,江戸時代に導入されたときから「かりん」と呼ばれていた。明治30年頃から加工業の発達により,マルメロへの世人の感心が高まり,栽培面積も増加するに及んでこの名称論議が出てきた。次の信濃毎日新聞の2つの記事は,当時の論議の一端を伝えている。

 明治39年6月30日の記事に「諏訪のマルメロ諏訪地方に栽培されているカリンと称するものは,その実カリンにあらずしてマルメロなり。カリンはその形が真桑瓜のごとくて,渋味と酸が強く食用にたえざるものなり」とある。

 明治41年4月26日には,カリンとマルメロが混同され,栽培者の間で論議が盛んになった。諏訪郡農会では東京農科大学教授の原農 学士に現物の鑑定を依頼したところ,カリンにあらずマルメロであると回答があったとの記事がある。当時の指導奨励の機関であった諏訪郡農会のきもいりで論議を続けた名称も,ようやく解決した。しかし前途のとおり,長い間,誤り呼ばれていた為,加工食品もカリンで宣伝され,この地方に定着したため,カリンの呼称は今後も続くことであろう。』

 早い話が「導入当初から単に間違っていた」ということだ。

現在のマルメロは「スミルナ」という品種(「洋かりん」と称される)が90%以上を占めており,この果実はセイヨウナシ型,肉質はやや軟らかく,芳香はそれほど強くない。もともと1630年頃に江戸城から高島藩に入ったとされるマルメロは「在来種」(「本かりん」と称される)であり,これはスミルナよりも芳香が強く,肉質も硬く,実の形は丸型や楕円形である。いずれにせよ,マルメロは果実の表面がらくだの毛のような短毛に覆われており,横に並べて比較すればカリンとは全然違う果実に見えるのである。もっとも,硬くて生食されず,利用の仕方が似ていることから混同されるのも仕方がないと思えるところもあるが・・・

江戸時代に各地で混同が広がった?

カリンとマルメロの混同については,単に諏訪地方に限ったことではなく,例えば香川県においてもマルメロを「かりん」と称して販売していると聞いた(香川大学の学生による情報)。

 

江戸時代に書かれた書物の記載をみてもカリンとマルメロが正しく区別されていない状況が見受けられる。

 

例えば,1712年(正徳2年)に書かれた『和漢三才図絵』の中には,マルメロについての記載に次のようにある。「南蛮人は沙糖蜜でこれを煮て食べ,加世伊太(カセイタ)と称している。よく痰・嗽を治すという。」

 

「カセイタ」はポルトガル語の「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)」(マルメロジャムの小箱)に由来する言葉なので,マルメロの項で記述されるのは当然のことである。

 

ところが,1829年(文政12年)の『本草綱目啓蒙』の中には,カリン(榠櫨)についての記載事項の中に「味酸渋食しがたし。蜜薑を以て製して菓とす。カセイタと云。」とあり,一方,マルメロの項にはカセイタの記述がない。また,マルメロの項には「売薬のマルメロ円には榠櫨(カリン)をまじゆる者多し」とも書かれている。

 

このようなことから,マルメロが長崎に渡来して約200年のうちに,目新しさも薄れ,世間一般でカリンとの区別が希薄になってしまったのではないだろうか。

「かりん」の呼称は今後も続く?

 上で紹介した記事の最後には「カリンの呼称は今後も続くであろう・・・」とあるが,最近の食品表示に関する消費者の目の厳格化により,この呼称がやや危うくなっている。何でも抵抗なく文句を言うことになれてきた消費者が「表記の矛盾」を苦情として訴えるようになってきたのだ。

 

 2006年2月16日の信濃毎日新聞によれば,諏訪市は2月15日に開いた市みやげ品審査会で,市内でカリンと呼んでいるマルメロを使った加工食品を製造販売している市内業者に,原材料表示はカリンでなくマルメロとするよう指導する方針を示した,とある。審査会で農水省の担当者から正確に表示するよう指摘を受けたためであるとのこと。

観光協会や商工団体の関係者からは「原材料名はマルメロに変えるとしても,商品名にカリンの名を残してほしい」という意見が相次いだという。

 

原材料名を正しく表示することは当然のことと思うが,慣れ親しんだ「かりん」の呼称は大目に見てもいいのではないか,と個人的には同情してしまう。この誤称がもとでこれだけカリンに興味を持ったということもあるし・・・。

ちなみに,近年のマルメロのダンボールは,写真のように表示が変わった・・・